なりたち(原文) もののはじまり

黄金の雲海の上で

あなたは、まだここへ帰ってきてはいけません。

まだ何ひとつ成し遂げてはいないではないか。

生まれいずるワケ

よいですか。

人は、この「苦しみも悲しみもない」天上界より、学ぶために地上に生まれます。

何もかもが満たされたこの天上界では、学ぶことが難しいからです。

あなたは、地上には「食物連鎖」があり、生きていくためには、他のものの生命を奪わなくてはならないことを疑問に感じていました。

それは、動物であろうと、植物であろうと、結局のところ「生命」を奪うことに変わりはないからです。

しかし、こうした仕組みはもちろん天上界にはありません。

地上には、そうした「試練」が「必然」として用意され、そこでたくさんのことを「学ぶ」ようにできているのです。

その「他のものの生命を奪って生きること」から学ぶことは何でしょうか。

それは、他のものの生命を奪うことを「何とも感じなくなること」ではありません。

また、「できるだけ自分に近いものの生命を奪わない」ということでもありません。

究極的には、「奪ったもの以上の価値を、地上に生み出すこと」こそ、地上での「学び」なのです。

目指すべき指針

価値とは何でしょうか。

それは「幸福」です。

幸福こそ、地上、天上界、宇宙をも含むすべての世界の中心にあり、すべてを造られた偉大なる意志の別名です。

私たちは、幸福を目指すように造られたのです。

地獄の存在と意味

しかし、この幸福の意味を間違えた方々は、この天上界へ戻ってくることができません。

今のあなたのように、自己卑下、自己憐憫、自己陶酔し、他のものを害し、世界を呪い、自己のわがままなる思いを実現することのみを幸福だと思うなら、それは地獄への扉を自ら開いたといわざるをえない。

地獄とは、誰かが造った場所ではない。

すべてはエネルギーによって成り立ち、このエネルギーは波長を持つ。

この波長が同じエネルギーが集まり世界を造る。

地獄とは、己のわがままなる思いを実現するために、他のものの不幸を顧みない波長をもったものどもの集まる場所である。

これは、いわば法則によって自然に生まれたものである。

彼らはここで、何十年、何百年、長いものは何千年も滞在し、おのずから気づくまで修行を積むこととなる。

地獄からの卒業もあり得る

しかしながら、地獄で何十年、何百年と経験を積むことで、波長に変化が現れ、己の幸福、他のものの幸福を目指すものもあらわれる。

こうしたものは、他のものの幸福を願うエネルギーが集まる世界、すなわち天上界へと戻ってくるのである。

そうして、また、地上へと生まれることとなる。

この地上で学ばなければならぬこと

この地上は、学びの場である。

もっとも学ばなければならないことが、もっとも難しく困難を伴うように造られている。

それは、「信仰」である。

この地上にありて、目でしかものを見ることができず、耳でしか音を聴くことができず、口でしか話すことができない世界で、「信ずる」ということは、もっとも難しいことである。

だからこそ、「この難しい世界で、それでも信ずることができるか?」と、試されているのである。

天上界では、私の声はあなたの心に直接響いているであろう。

あなたは、目を閉じているが私の姿が見えるであろう。

ここは「信ずることがた易き世界」である。

戻って、「信仰」と「幸福」を学ぶがよい。

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