老後、認知症になったらどうしよう?人に迷惑はかけたくない!

普段、高齢者様に接する中で、みなさんが口をそろえておっしゃることは「認知症になったらどうしよう」「歩けなくなったらどうしよう」「人の世話にはなりたくない」「誰にも迷惑をかけたくない」というものです。

これは、年をとればとるほど、心の大半を占める悩みとなってくるようです。

これ以外には、だれも口にはされませんが、「死ぬのが怖い」「死んだらどうなるんだろう」「死んだあと、子どもらは大丈夫だろうか」といった「死」に対する悩みも大きくなっていくようです。

そのため、自分が死んだ後の準備を早いうちからはじめる人も増えてきたように感じます。

こうした老後の悩みのうち、今回は「認知症」について、あめのもりみたまに聞いてみたいと思います。

認知症になったらどうしよう?!

認知症とは、肉体の衰え、潜在意識の表れ、憑依などの理由がある。

大きく分けると2つに分けられる。

いいことばかり覚えていて嫌なことを忘れるものと、嫌なことばかり覚えていて、いいことを忘れるもの。

前者は天国に還り、後者は地獄に落ちざるを得ない。

こうなる前に、手を打たなければならない。

両者を分けるのは、やはり「感謝」である。

本来、相手を幸せにするのは自分の役目

嫌なことばかりを覚えていて、何度も自分が害されたことを話すタイプの認知症では、そもそも「自分の出会うすべての人は、自分が幸せにするべき人」であるという「この世に生まれてきた理由」を全く理解していないことが原因である。

そのため、自分が出会う人で、伴侶や兄弟、両親、子どもなど、自分に近い人たちは「自分を幸せにするべきである」と正反対にとらえ、そうならなければ「あいつのせいで私はずっと不幸だった」というようになる。

環境や他の人のせいで、自分がずっと不幸だったと、そればかりを言うようになるのだ。

こういう傾向がある人は、今のうちから注意をするべきである。

自分が出す波長は、目に見えないものと通じている

こうした波長は、もちろん同じものを引き寄せる。

同じような波長とチャンネルが合い、そうしたエネルギーを引き寄せてくることになるのだ。

その結果、同じように認知症のまま亡くなった方の霊が憑依してきて悪化することになる。

こうなると、表情も変わり、意味の分からないことを言い、行動もおかしくなっていく。

もう、自分の抱いた「恨み」なのか、憑いている霊の「恨み」なのか、区別もできなくなっていく。

人は、「幸せ」になる義務があり、「幸せ」にする義務がある

あなたは、あなた自身で幸せになる義務があり、あなたの周りを幸せにする義務があったのだ。

にもかかわらず、自分の不幸を環境や他の人のせいにし、周りの人も嫌な気分にし、不幸にし、すべては自分を不幸にした環境や人のせいだと思うのは、大きな間違いである。

なんのためにこの世に生まれたのか、数十年の苦労が水の泡である。

生きている間に気づけ。

生きている間に気づけば、この数十年の人生は意味のある、素晴らしい経験になる。

なにに気づくべきか。

それは、「あなたが恨んでいるその人は、あなたが幸せにするべき人だったのだ」ということであり、「あなたが呪っているその環境は、あなたが正すべき環境だったのだ」ということである。

すべては与えられている

この世に生まれてくる意味は、苦しい環境の中でも幸せでいるということを学ぶためである。

そして、苦しい環境の中でもたくさんの人を幸せにするという大きな課題もある。

何人の人を心から幸せにできるか、それを試されているのです。

そのために必要な環境はすべて与えられているのです。

天国には苦しみはありません。

何もしなくてもみんな幸せです。

だからこそ、この世に生まれてくる意味があるのです。

この世には苦しい環境がたくさんあります。

というよりも、苦しくない環境はありません。

誰にも、何かしら困難が用意されているのです。

挫折が用意されているのです。

その中で、幸せでいられるか。

その中で、ほかの人を幸せにできるか。

そうしたことを学んでいるのです。

その苦しみの中で、不貞腐れて不幸になるのは簡単です。

人のせいにして自分を正当化するのも簡単です。

でも、それでは意味がないのです。

認知症を回避するのは「感謝」

認知症には、もちろん肉体の衰えによっておこるものもあります。

それは避けがたい苦難です。

これも、その苦難の中で幸せであれという一つの課題なのです。

問題は、そうでない場合です。

人を恨み、環境を恨み、嫉妬し、「幸せにしてほしい」と幸せを他に求める人。

こうした人は注意が必要です。

あなたが恨んでいる人も、環境も、すべてはあなたがそのなかで幸せになれるか、幸せにできるかという課題として用意された人であり、環境であるのです。

今ある「不満」「心配」「不安」など、そんなものも全部そうです。

そうした「不満」「心配」「不安」を抱えながら、幸せで入れるかという課題です。

言葉を変えるなら、「幸せでいてもいい」ということ

人は、苦難や困難や挫折の中にある時、不幸そうなふりをする癖があります。

それは世間の目があるからです。

「あの人、ご主人亡くしたのに笑っている」

「倒産したのにあんなに明るい」

「受験に落ちたのに元気」

こうした言葉を恐れているのです。

逆に不幸そうにしていると同情が得られます。

「ご主人をなくされて本当に気の毒」

「あんなに頑張っていたのに倒産するなんて」

「もう少しで合格していたのに」

という同情です。

ほかにも、罪悪感のようなものもあります。

「こうした事態を招いたのは自分の責任だから、不幸そうにしていないと」という気持ちです。

こうした経験を通して、不幸に装う癖があるのです。

これは明らかな間違えです。

あなたはどんなときも「幸せでいていいのです」

認知症にならないためには、脳トレは不要。感謝こそ一番の薬

認知症は脳トレで治るようなものではないのです。

予防もできません。

1つだけ方法があるとしたら、感謝です。

感謝することです。

すべてのものに感謝してください。

毎日朝が来ること。

暖かい布団で眠れること。

美味しい食事をとれること。

澄んだ水を自由に使えること。

雨風をしのげる家があること。

身体をきれいにする風呂があること。

足が悪くても車いすがあること。

寝たきりでも電動のいいベッドが借りられること。

ヘルパーが来てくれること。

まだ目が見えること。

まだ耳が聞こえること。

耳や目が悪くても物が食べられること。

どこにも痛みがないこと。

痛みがあっても生活できること。

痛み止めや薬をあたりまえに処方してくれること。

万が一の時は救急車がすぐに来てくれること。

感謝できることは、実はいくらでもあるはずです。

これが、最大の認知症予防です。

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