歩けなくなったらどうしよう。
そうした不安を抱えていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。
80才を超えると、転倒や腰椎圧迫骨折、膝の変形性関節症、大腿骨頸部骨折、パーキンソン、脳梗塞など、歩けなくなる原因がいっぺんに増えてきます。
歩けなくなると、車いすでの生活になったり、寝たきりの生活が待っていて、それは、「他の人の世話がなければ生きていけない」状態となってしまいます。
これを恐れている人がたくさんいるのです。
こうした不安や恐れを解消し、死ぬまで自分の足で歩くためにはどうしたらいいのでしょうか。
そのあたりを、あめのもりみたまに聞いてみましょう。
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歩けなくなるのはあたりまえ
まず、人が年老いて歩けなくなっていくのは「あたりまえ」のことであると受け入れることが大切です。
これは仕方がないことです。
死ぬまで歩ける人もいるにはいます。
ただ、自然の摂理からすると、年老いて身体が弱り、歩けなくなっていくのは「普通」のことなのです。
この地上の世界では、ときとして「これだけは絶対いやだ」ということを経験しなければいけないことがあります。
その最悪の環境で、「幸せ」でいることが生まれてきた理由なのです。
自ら歩けなくなる道を選択してはいけない
引き寄せの法則という法則があります。
同じ波長をもつエネルギー同士は引き寄せ合うというものです。
この法則は、24時間365日働いています。
歩けなくなるということは、自分が出したエネルギーの波長が、その状況を引き寄せたということが言えます。
その波長とは、「歩けなくなったらどうしよう」という気持ちです。
また、「いつまでも自分の足で歩きたい」という気持ちもそうです。
歩けなくなったらどうしようという気持ちは、歩けなくなったときのイメージをし、車いすや寝たきりの生活をありありとイメージします。
心配性の人は、歩けるうちから手すりをつけたり、バリアフリーに改築したりします。
そうした「歩けなくなるイメージ」が、「嫌な気分」を出し、それが現実に引き寄せてきます。
イメージ→気分(波長)→引き寄せ
簡単に言うと……
引き寄せの法則がわからなければ、心の持ち方といってもいいかも知れません。
歩けなくなる人の大半は、歩けなくなるのが怖くて、毎日歩き、歩きすぎて歩けなくなっていきます。
「歩けなくなったら困るから、毎日1時間歩こう」と目標を立て、毎日まじめに歩きます。
これは素晴らしいことです。
それでも、疲労してくると1時間歩けないこともあります。
膝に痛みが出たり、こむらがえりをすることもあります。
なのに、「毎日1時間歩くと決めたから」と、痛みを我慢して毎日歩く人が非常に多いのです。
これは強迫観念にも似ているかもしれません。
「1日でも歩かなければ、歩けなくなってしまうかもしれない」
そういう気持ちがあるのかもしれません。
ただし、痛みが出たり、筋肉が痙攣をおこすようなら、間違いなく「お休み」するべきです。
痛みがでない程度に時間と距離を調節するべきですし、自分の体調に合わせて歩くことが大切。
毎日歩く必要もありません。
歩けることに感謝する 歩けなくなったら、世話してくれる人に感謝する
あめのもりみたまは一貫してこういいます。
人は、この地上に「幸せ」になるために生まれてくる。
天国のような、何もしなくても幸せしかない世界ではなく、生きるために他の生き物の命を奪わなければならないような過酷な世界に生まれて、その過酷な環境で「幸せ」でいられるかどうかが試されている。
その環境の中で、ほかの人を幸せにできるかどうかが試されている。
幸せとは、自分が与えられているものに感謝できるということである。
同じ分だけ与えられても、それに感謝ができる人と、不平不満を言う人がいる。
これが「人間の器」となるのだ。
歩けるなら、歩けることに感謝し、歩けなくなったら、それでもいろいろな人に生かされていることに感謝すること。
感謝ができる人は、奪われることはない。
感謝ができないものは、感謝ができるようになるまで、奪われ続けるのだ。
歩けなくなるのが嫌なら、すべてのものに感謝せよ。
歩けなくならないための考え方
要点をまとめてみましょう。
歩けなくならないためには、「歩けなくなったらどうしよう」「いつまでも自分の足で歩きたい」と思うのではなく、今歩けていることに感謝すること。
また、歩くなら痛みがでない程度、楽しく歩ける程度に抑えること。
現状に満足して感謝すること。
こうしたことが重要といえるようです。
歩けることに感謝していれば、歩けなくなることは少なくなります。
それでも歩けなくなってしまったら、世話をしてくれる人へ感謝の気持ちを贈りましょう。